2011 設計演習B/C
2011年11月10日木曜日
1X10A182 吉岡侑希「to observe trash」
A++
接触を媒体にして、ネガとして表れてくるテクスチャー。指紋という個体の情報を担った認証の記号としての指紋をひきはがして、表面にできたクレーターのような、一つの地形として表現されている点が評価される。
(博多)
1X10A081 清水友稀「VESSEL」
A++
「
VESSEL」と題された作品。ブルーの細いアクリル棒に差し貫かれた直方体。「Vessel」が花瓶を意味すると直方体はさしづめ生けられた花だろう。花はアクリル棒の束の錘となって虚空に揺らぐのだろう。微かな揺らぎをとおして虚空に漂いながら、虚空をscreeningしているのだろう。揺らぐ動きをscreeningと結びつけている佳作である。(入江)
1X10A145 藤森慧「こころころ」
A++
十数本の金属の棒の先に様々な石ころが置かれ、逆立ちした振り子のように棒が揺れる。それぞれの動きはまちまちだが全体的にバランスが取れているようにも見える。様々な金属の素材と河原に落ちている石の自然の色との組み合わせが美しい。自分の心をスクリーニングする装置と作者は設定しているように、石を揺らすことによって、心がだんだん軽くなっていく心地よさを感じる。
(安東)
1X10A175
山田匠「無題」
A++
黒い台座の上に横たわる、畳まれたビニールシートには、無数の画鋲が整然と刺さっている。画鋲の透明で丸い頭は柔らかい光のフィルターを連想させるが、シートの裏側から見える針の大群は攻撃的で、触覚に訴えるとともに、影を構成する。表と裏の対比が心理的にも面白い効果を生み出している。(安東)
1X10A150
牧野創太
「ビルフィルター」
A++
黒くスモークがかかったアクリルで、あたかもビルのファサードのような箱を作っている。中をのぞくと、スケ−ルの小さくなったビル群のような角柱が並んでいて、観る角度によっては、それらが透けてみえる。反射と透過を上手く利用して街並みを模型化している作品。本来外にあるものを中に入れ込んだ面白さがある。(間下)
1X10A181
吉江優「赤を淘汰すること」
A++
「赤を淘汰すること」と題された作品。赤の液体の希釈度の変化による水の色の変容に対する赤の液体の周辺の反射面による映像における色の変容を対している。思想の道程を経ることで複雑化した過程自体が異種の作品となっているところがおもしろい。理屈に片寄ったところを継続保持できるかの境界線にいるということを自覚する必要がある。(入江)
1X10A166 向井ひなの「無題」A++
透明シートの一部分に、薄いスポンジをカットした小さな破片が積んである。重ねられた破片はそれぞれ異なる色で着色され、隣同士で並んだ色がモザイクのようなコントラストを作る。スポンジの軽さと隙間から垣間見える色の風景が作品をうまく引き立てている。(安東)
1X10A160 三角俊喜「Lunatic」A++
Lunaticという言葉に代表されるように、月の表面は人を憂いや狂気にかりたて、変容させる一つのスクリーンと見なされてきた。見えない影の面をかかえつつ、絶えず変容しつつ、無敵の表情をもった月面を無垢で力強い形で表現している点が印象に残った。(博多)
1X10A179 山本浩夢「spheric scope」 A++
「
spheric scope」と題された作品。透明なポリカーボネートサンドイッチ部材を球体に向けて積層した作品。角度によって反射面体となり、また素材の物質性へと変容する。その変容のなかに、その存在性が変移してくるのであり、「変容」「変位」自身の中に自らの在り様をscreeningしているかのようだ。丁寧に模型を作っていて好感がもてる。(入江)
1X10A014 泉貴広「無題」 A++
単純化された面と面が接するときに発生する隙間を極めて、無垢なつながりの形で表現しているところから、段ボールという素材を構造的なエレメントから解放して、内蔵のような大きな表面積をもったひだとして表現している。
(博多)
1X10A009 池田直樹「Sounds」A++
音の波形が塩ビ板に刻み込まれている作品。オーソドックスな手法ではあるが、作り込みの丁寧さがきわだった。
1/4円弧に湾曲して立たせたことで、観る角度によって音の組み合わせ方が変化するところが面白い。(間下)
1X10A090 瀬尾憲司「Hungry」A++
アルミで作られた潰れた牛乳パックのようなものである。強固なステンレスが吸引されてつぶれたのか、はたまた空っぽのいらだちから押しつぶされたのか。持ち上げた時の軽さと、タイトルの
Hungryと相まって枯渇している感じが存分に表れている。(間下)
第4課題 「SCREENING」
出題:博多努
安全・健康・さまざまな局面で、通過儀礼的に、また可視化を担保するための迂回した手続きとしての「ふるい」をしばしばスクリーニングと表現する。
一方で、我々の身体は臓器的感覚皮膚感覚など五感とははなれたパッシブな形でふるいを内蔵している。
生活の中に内在するさまざまな「肌理」や「サイズ」を手がかりとして、自分なりにSCREENINGすることにより生活に埋没した[何か]を可視化してください。
提出物:立体
出題日:2011年10月26日
提出日:2011年11月2日13時30分
講評日:2011年11月9日
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